狩猟民族的ADHDは農耕民族的な日本社会では生きづらい
毎日毎日、決まった時間に仕事、学校行っていやだぁぁ!!!毎日毎日変わらない日々はいやだぁあ!!
突然なんだ!?と思うと思いますが、友人とADHDの話をしていたら、ネットの発達界隈で言われている「ADHD=狩猟採集民族」という話を思い出しました。どういうことかと言うと、
- 何か獲物(関心事)があると、それを手に入れたり、納得するまで追い続ける。手に入れると集中が切れる。
- あちこちに注意が向くのは、実は森など自然の中で、危険を察知するのに役にたつ。
といったADHDの特徴が狩猟採集的で、自然界で生きていくのには役に立つのでは、という説です。だからADHDはこの社会では障害とされているけれど、元々は生き延びるには必要な能力だったのではないか。
そしてこの日本社会は農耕民族的だと思います。
毎日、朝決まった時間に仕事や学校に行き、毎日決められた仕事や、勉強をして、夜になって帰宅する。そして、他の人と協力しながらこなす作業が多い。一年通してその時期に会った作業をする。
これは春になったら種をまいて、毎日人と協力しながら、朝から水やり、雑草抜きをしながら育て、夜には帰り、収穫を待つ。この仕事の仕方を今も日本社会は継承しているんだな、と思います。
そりゃ、生きづらいわ。
狩猟採集は、必要な時に狩りや、植物の収集をする。日中に行うとは限らない。その時によってベストな時間や時期があって、コンスタントに日中何かすると決まっているわけじゃない。そんな風にDNAに刻まれてたら、農耕民族に合わせるのは生きづらい。
だからきっと狩猟採集的なリズムで動いてもいい所に行くと、生きやすいし、能力を発揮できるのでは。そうしたらもはや障害ではないかもしれない。そんな社会になるといいなあ。
とりあえず、農耕民族のリズムの職場にいる私は、「わしゃ狩猟採集民族だもん」と主張することから始めます(笑)
みなさんよく合わないところで頑張っている!えらい!!
お読みくださりありがとうございました( ´∀` )